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第859号 ビリギャル坪田先生に学ぶ

こんばんは。パピーいしがみです。卒業式も終わって、今、子供達は春休みでしょうか?

もしかしたら、いつもは幼稚園、学校にいるはずの子供達が、家の中で、うるさくて、お母さんはイライラしているかもしれません(^^)

新学期は4月初旬でしょうから、ちょっと長い休みですね。

さてそんな中、今日は、私が疑問に思っていたことで、「そういうことなのか?!」と気づいた事をお話したいと思います。

“ビリギャル”って言うと、ご存知の方は多いと思います。

“ 学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話”という題名で、本がベストセラーになりましたね。

又、有村架純ちゃんが主役で、映画も大ヒットしました♪もちろん、私も見に行きました(^^)。

学年ビリの子が、たった1年で慶応大学に現役合格、それはそれですごいことですし、主人公のさやかちゃんの頑張り、お母さんの献身的な努力も素晴らしかった・・・のではありますが、

私が、最も興味を持ったのは、そこまでやる気にさせた、坪田塾の担任教師「坪田信貴さん」でした。

坪田先生は、心理学を応用した接し方をし、「絶対に叱らない、ほめる事が子供の能力を高めるんだ!」と言われていました。

「褒める」効果は分かるけど、心理学のどんな部分を使っているんだろう?と、私はとても興味がありました。

ただ、あのビリギャルの映画が大ヒットした後、徐々にテレビに出る事が減り、又、坪田先生が書かれている本も「ビリギャル」以外にはなく、「坪田先生の事、もう少し知りたいな~」と思っていたのですが・・・

先日、久しぶりにテレビ「1分間の深いい話」で紹介されていました。

久しぶりに見る坪田先生は、相変わらずの笑顔と「肯定する言葉」で子供達に接していました。以前と同じように坪田先生の塾は大盛況でごった返しています。

集まる子供達は、ほぼ、学年でビリ争いをしている子供達です。でも、ここでちょっと考えて欲しいのです。学年でビリ争いをしている子は、間違いなく勉強嫌いです。

「自分は頭が悪い」とか「どうせ自分なんて」と思っています。勉強が好きだったり、勉強をしているのに「ビリ争いをする」なんてほとんどありません。

勉強が嫌いだからこそ、成績が悪いし、成績が悪いからこそ勉強に強い苦手意識があり、「自分には無理だ」と諦めてしまうのです。

成績が極端に低い子は、まず勉強にやる気など持たないのですね。でも、坪田塾では、そういう子供達が「勉強しよう」としています。実は、これがとても奇妙な光景なんです。ある意味「異常」なんです。

私は、この「やる気がない子たちが勉強をし始める」その原動力が何か、それをずっと疑問に思っていたのです。ただ「褒める」だけでは、そうはならないはずだからです。

坪田先生の持論はこうです。「地頭の悪い子などいない。どの子も可能性に満ちている」「ダメな人間なんていない。ダメな指導者がいるだけ。でも、ダメな指導者も、ちょっとした気づきで、変われる」

坪田先生の生徒達への接し方は「褒める事」だと思われていますし、そう報道されています。ですが、決してそれだけではなかったんですね。

テレビでは坪田塾に新しく入塾した一人の男の子を捕らえていました。その子の自宅での様子が映し出されました。

ソファーの上で寝っころがりながらゲームをやっています。お母さんが「いつになったら勉強するの?」と聞いても「チッ」「うぜえ」というような状態です。もちろん勉強など始めません。(でも、これが成績の悪い子の自然な姿なのです)

入塾したばかりの時も、親に連れられていやいや来たのでしょう。その態度は、ふてぶてしくやる気がなく、背もたれに寄りかかりながら坪田先生の話を聞いている、

質問されても返答はテキトーで「好きな科目は?」「・・・ない」「キライな科目は?」「・・・全部」明らかに不機嫌な態度。それは、テレビで見ている私にも「イラッ」とさせる状態でした。

坪田先生は、それでも彼のいいところを見つけようとされます。でもそれは見方によっては、子供のご機嫌取りのようにも感じるほどでした。

その時、テレビのプロデューサーが坪田先生に聞きました。「坪田先生は、怒ることないんですか?」坪田先生は、笑顔を絶やさず「ありません」

「怒る事は何も意味がないからです」と即答です。そしてこう続けたのです。

「僕らは子供の能力を高める事が目的です。怒って萎縮させてどうするんですか?」顔はにこやかでしたが、言葉には厳しさを感じました。

まるで、「やる気を高める為に子供を肯定している、その対極にあるのが感情で怒る事だ!何でそんな事が分からないんだ!」と言っているかのようでした。

ですが、このときには、まだ子供はやる気にはなっていません。

坪田先生に褒めてもらい、悪い気はしないけど、できれば勉強なんかしたくない・・・という雰囲気でした。

でも、それはまだしょうがない事です。なぜなら、自分では何も実績を出していないからです。

もし、ここで終わってしまったら子供にも変化は起きません。坪田塾では、入塾したばかりの子には、

「今の授業には付いていけていないかもしれないが、どこまでだったら理解できているか?」をまずテストで把握します。

(当然ですが、子供は全くやる気なし「エ~、ウッゼェナ~」という雰囲気です)

ですが、なんとかテストをやってみて、本人の「どこまでだったら分かる」を把握したら、その少し前ぐらいから学習をスタートさせます。

例えば、4年生の子が2年生の3学期レベルまでしか分からない、という状態であれば、2年生の1学期ぐらいからのドリルなどを与えるのですね。

すると子供は、できる問題が出るのですから、すらすら答えられます。ドリルもどんどん進みます。分からない事があれば先生のところに行って聞きます。

先生は喜んで教えます。子供も聞く事、質問する事に抵抗がなくなり、わからない事を「わからない」と素直に言えるようになります。

(実は、勉強が苦手な子供は「わからない」と言うことが怖いのです。「こんな事も分からないのか?」「バカなのか?」と言われたり、人と比べられたり、自尊心を傷つけられるかもしれない、そんな不安や恐れがあるからなんですね)

「分からない」と言ってもいいんだ、怖くないんだ、と知り、安心して「分からない」と素直に言えるようになり、分からないところが分かったり、その答えの出し方が理解してくると楽しくなります。

そうやって学習を進めていくと、間違いなくレベルは上がってきます。

実は、このとき、子供は感じているのです。「あれっ?実は俺って勉強できんじゃね?」って。「もしかして俺っていけるかも?」って。小さな“やる気”が芽生えているんですね。

そして坪田先生は、その状態を見て、又、褒めてくださいます。「すばらしいですね。ちゃんとできていますね」って。

子供に、少しずつ実績を出させ、その出た実績に対してきちんと褒めていきます。

子供の小さなやる気は継続し、実績はどんどん積みあがっていきます。

そして、2年生の問題、3年生の問題、4年生の問題・・・と過去の教科を勉強して、
いよいよ今の授業に追いつくまでになります。そうすると、子供は目の色が変わってきます。

自分が「どうせ俺なんてダメだ」と思っていた“固定観念”を、自分が破っていることが分かるからです。そこで「自分にも可能性があるのでは?」と感じるようになるですね。

人は本当はだれでも「自分の能力を高めたい」と思っています。でも回りからの叱責や比較、バカにされたり、頭ごなしに否定される事で

「どうせ俺なんて」とか「何やってもできない」って、自分で自分を卑下してしまいます。それが自らのやる気を失わせるのです。

私も、頭ごなしの否定や、叱責、比較など、子供の自尊心を低下させる事はやめましょうね・・・とお願いしていますが、それはなぜか?と言うと、

「どうせ俺なんて」とか「何やってもできない」って、自分で自分を卑下し、自らのやる気を失わせてしまうと、そこからの復活がとても難しくなってしまうからです。

先ほど坪田先生の接し方は「褒める事だと思われています」と書きました。

でも自暴自棄に陥ってしまった人や、諦めてしまった人、「どうせ自分なんて・・・」と自分を卑下している人は、ただ褒めても、なかなか改善していきません。それが現実なんです。

そこまでになってしまった人を復活させるには、本人に「自分はダメじゃない」「自分だってできるんだ」と分かってもらわなければなりません。

「自分はダメじゃない」「自分だってできるんだ」と分かるためには、自分で実績を出してもらって、自分でその実績を認めてもらう以外にはないのです。

でも、一旦「やる気を失ってしまった人」が、行動し実績を出すのは本当に難しい。なぜならそこに向かう事さえ嫌悪感を感じているからです。

人は、自分の事を一番良く知っています。自分のダメなところや弱さを熟知しています。だからどんな褒め言葉も「褒めるだけ」では動こうとはしません。

「私のことなんて知らないくせに」と聞き入れないのですね。ですが、坪田先生は、それをやっているのです。

一番難しい「自分なんてダメだ」という根本を変えてくれるのです。私はそこが人と違う、すごいことだな、と感じていたんですね。

それは徹底した「否定をしない」「比較をしない」「差別しない」「叱らない」「上から目線で接しない」(相手を子供としてではなく一人の人として認め接する)

そして「いいところを見つける」「一緒に喜ぶ」という“絶対に揺るがないその姿勢”だと思います。

硬い岩盤を割って、やっと地上に出てきた小さな若葉を、大事に大事に育てている感じがします。

子供達は、そんな坪田先生に包まれ、大切に守られながら、自分が出した実績に驚き、又、小さな自分の実績に対して褒めてもらえた嬉しさを、素直に喜びとして受け止めるようになるのですね。

先述の男の子も、時間の経過と共に顔つきが変ってきました。

先生の話を、先生の目を見ながら、身を乗り出して聞くようになり、笑顔も出てきました。こうなると、問題を解くことが楽しくなるし、テストをやっても良い点が取れるようになってきます。

手ごたえを感じるようになれば努力が楽しくなってきます。ここまで来ると自分のレベル以上の問題にも取り組むようになります。勉強に向かう事が楽しくなるんですね。

勉強がゲームぐらいに面白くなるのです。「面白い」「楽しい」と感じてくると、能力が高まるスピードはどんどん速くなります。

そして受験日まで「今までやった事のないような努力」が続きます。でも、そんな風に、苦難を乗り越え、やる気になって高い目標に向かい、頑張った子供達でも、すべての子が志望校に受かるわけではありません。

受験は、非情で、過酷で、又、冷徹です。先生も最大限の指導をして、子供も精一杯の努力をした。でも試験に受からない、という事は残念ながらあります。

そんな時、もし、あなたが先生なら、どうするでしょうか?もし、私だったら、子供にどんな言葉を投げかけるでしょう?

私なら・・・「でも、今まで良く頑張った。結果は残念だったけど、あなたの今までの頑張り。僕は感動したよ。」と言うでしょうか?

でも、その言葉は、子供に届くでしょうか?私には分かりません。

では、坪田先生はなんと言ったのでしょう?先生は、こう言われたのです。

生徒:「不合格でした・・・」

「そうですか・・・。(神妙な面持ちで席を立ち、身を律して)あなたが志望校に受からなかったのは私の責任です。私の指導がいたらなかったのです。

あなたは本当に良く頑張った。足りなかったのは私の指導力です。塾の責任です。本当に申し訳ありませんでした・・・。」そう言って生徒に頭を下げたのです。

私は驚きました。すごい覚悟だと思いました。この人、本気なんだ、真剣なんだ!と感じました。そして「かっこいい!」「すごい!」と思いました。

子供からすれば、試験を受けたのは自分です。先生ではありません。自分の答案が合格点に達していなかった事は十分分かっています。

焦ってしまったり、あがってしまったり、緊張して力が発揮できなかったかもしれません。

でも、そんな細かいことを言う前に「あなたが悪いんじゃない、私の責任だ、申し訳なかった」と先生が言ってくれたら、

「いえ、結果を出せなかったのは私です」「私の努力が足りなかったんです」って、素直にそれを認めることができるのですね。

実は、これってすごい事なんです。特に自分を卑下していた子にとって、頑張ったけど結果が出なかった、その現実に直面した時、かつての自分の超マイナスなイメージが湧き上がってしまいます。

「結局、私なんて何をやってもダメなんだ」「一生懸命勉強して受験するなんて最初から無理だったんだ」「無理なのに無駄な事をしていた私がバカだったんだ」「夢は叶うなんて言われて騙されていたんだ」って。

本当は無駄な事でもないし、最初から無理だったのではないのに、自分の過去、卑下していた自分がフラッシュバックしてしまうのです。

「どうせ私なんて・・・」「どうせ俺なんて・・・」「どうせ・・・」「どうせ・・・」それをそのままにしてしまうと、二度と立ち上がる気力を失ってしまうのです。

さらに自分を貶め、愚弄し、自分嫌いになってしまうのですね。でもそこで先生が「私の指導が足りなかった」「申し訳なかった」と言ってくれたら、

自暴自棄になる前に、自分嫌いになる前に、自分のやってきた事を無駄だと思う前に、騙されたと思う前に、「この先生に報いたい!何とかして喜んでもらいたい」と思うのです。

それが「もう一度頑張ろう!」って思わせてくれるのです。「あなたが悪いんじゃない、私の責任だ、申し訳なかった」それは決して正しくはない、とは思います。

でも、その言葉によって、子供を救う事ができるのです。奈落の底に突き落とす前に復活させてあげられるのです。それを見て、私の疑問が解けました。

私自身も感動し、なぜ「やる気がなかった子が真剣に勉強をし始めるのか」理解できた気がしました。

“坪田先生は、心理学を応用して塾経営をし、子供を褒めることでやる気にさせている”と本や評論では書かれています。

でも実際は、そんなテクニックではなく、坪田先生がどれだけの覚悟を持って、「自分の本気を子供に見せているか?」なのだろうな、と思います。

そして子供は、先生のまっすぐな本気の姿勢を感じるからこそ、先生を信頼し、変っていき、不可能を可能にしたり、多くの人が驚く結果を残すのだろうな~、と。

子供が本気になるには、そばにいる大人も本気であることが必要なんですね。
現実的に、私は、「坪田先生そっくり」を目指す必要はないと思います。

でも、どうでしょう?私達は本気になっているでしょうか?子供が安心して心を開ける親でいるでしょうか?自分のメンツや「人からどう思われるか?」などが先になってはいないでしょうか?

私も自分を振り返り、反省しました。もし、今回のメルマガが私達の姿勢を振り返る、一つのきっかけになってくれたら嬉しいです(^^)

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