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教材の紹介

パピーいしがみって・・・だれ?

パピーいしがみ

 

以前このサイトができたばっかりの頃(リニューアル前)、

ホームページの中で

「覚えやすくて、親しみやすいハンドルネームをつけてくれませんか?」とお願いしてみました。



そうしたましたら、うれしいことに28人もの方からご応募頂いたのです。

『1人か2人くらいだろうなぁ。10人もご応募頂けたらうれしいなぁ。』

と思っていましたので、3倍もの反応にびっくりすると共に、

涙が出るほど感激しました。



頂いたメールの中には

「これからもよろしく」とか「楽しい毎日をありがとう」とか

「目からうろこが落ちました」という

心温まる、お手紙(メール)を頂いて本当にうれしく思いました。



そして悩んで悩んで採用させて頂いたハンドルネームが「パピーいしがみ」なんです。



皆さん一生懸命考えてくれたようで、

それをひとつに絞ることがとっても申し訳なく感じていたのですが、

ご応募してくださった方々に

『パピーいしがみ』にしたいと思いますが、いかがでしょうか?

というメールを差し上げたところ、

とっても評判がよく皆さんご快諾下さったため、それから使わせて頂いています。



命名してくださった方は福岡県の Hirokoさん。

頂いたメールはこうでした。




いしがみさん。いつもありがとうございます。と言ってもご存知ないと思いますが。

私は3歳と5歳の子供を持つママです。

たまたま【“幸せなお母さん”になる為の子育て】にたどり着いてそれからファンになりました。



コンテンツひとつひとつや文章を読むと

いしがみさんがどれほど子供たちを愛していらっしゃるのかひしひしと感じます。

そしていろんな事を勉強されていることも感じました。



いしがみさん推薦の「自信をつける子育て法」私も参考にさせて頂いています。

笑顔で挨拶を交わし、話をよく聞き、注意するよりも認める。

パパにも協力してもらって、

子供の話を聞きながら、笑いながら朝ごはんを一緒に食べてます。

そのせいかこの頃子供達だけでなく、私もパパも、ずいぶん変わってきた気がします。



実は先日、パパに

「お前このごろよく笑うようになったんじゃない?」なんて言われて、

びっくりするやらうれしいやら。

(パパもこのサイトのファンですから『認める』『褒める』を読んだと思います)

いしがみさんが言われている。褒める効果ってこんなに大きいんだ!って実感しました。



友達からも、「顔が優しくなった」と言われて、

本当にいしがみさんには感謝してもしたりないほどです。

本当にありがとうございます。

今日は、そのいしがみさんが【ハンドルネーム】を募集されていると知って、

メールさせて頂きました。



私の考えたハンドルネームは≪パピーいしがみ≫です。

ちょっとデューク更家みたいですが、意味もあるのです。



いしがみさんは“幸せなお母さん”になる為の方法を教えてくださっているじゃないですか?

そしてご自身でも「“幸せなお父さん”です」といわれていますよね。

幸せなお父さんだったらハッピーパパ?ですよね。

でもちょっと簡単すぎますのでひっくり返して、パパハッピー?パパッピー?

ちょっと変?でもカワイイ?ははは・・・



なんて遊んでたら、たまたま、【パッピー・・・・パピー?】 あれっ?



あっ!パピーなんてかわいいし、短くて分かりやすいんじゃないかな?と思ったんです。

でも、パピーだけだとなんか信頼性に欠ける(軽すぎる)から、

【パピーいしがみ】にすればいしがみさんの信頼性はそのままに、

分かりやすくカワイイハンドルネームになると思います。



パピーいしがみ。なかなか良いと思いますが、いかがですか?





とこういうメールだったのです。



私は響きもいいし、「これって好きだな!」って感じたんです。

もちろん「ファンになりました」も私にとっては感動的だったのは言うまでもありません。

ここから『パピーいしがみ』というハンドルネームは生まれたのです。



さて、あなたが知りたいことは私の名前の由来では無く、

「パピーいしがみ」という人間がどんなやつなのか?ですよね。

この話は思い出したくない事ではありますが、あえて告白させて頂きます。



特に特に口にする事を拒みたい、

私の幼少期から高校の頃までのお話をさせて頂きます。




私は、昭和一桁生まれの父と母の次男として昭和36年に生まれました。

父は小学校の教諭であり現在では累計1万人以上の門下生を持つ書家。

厳格でしつけが厳しく、教育に対しても非常に熱心な父でした。



職場である学校では、同僚・上司(校長や教頭)とも真剣に教育論を戦わし、

生徒にはもちろん生徒の親にも影響を与えるほどの絶対的な存在。



そして書に関する情熱は寝食を忘れるほどで、

作品を作り始めたら何日も徹夜するほど集中する、

まさに芸術家といった人でした。



そんな父の下に生まれた私や兄への躾はどのようなものだったか、

想像がつくかもしれません。



完璧な父には子供のそそうが許せなかったのでしょう。

厳しく注意され、ののしられる事もありました。

朝、起きてから夜寝るまで、子供の私たちは常にびくびくし、

父の機嫌を伺い、気を許すことなどはありませんでした。



年功序列、男尊女卑の世界!



「朝の挨拶は『おはよう』では無い!」「おはようございます。」となぜいえない!

「目下の者が目上に対する挨拶は敬語を使うのが当たり前だ。」

「畳のへりを歩くな」

「ふすまや障子は両手で閉めろ」

「靴はきちんと並べろ」

「大きな声で笑うな」

「この間もおんなじ事を言っただろう。」

「何度も同じ事を言われるやつはバカだ!」



ちょっと例を挙げればこんな感じです。

物心ついた時にはすでに厳しい躾はスタートしていました。

躾は朝から晩まで止まることを知りません。

顔を合わせば、必ず注意やお叱りを受けるのですから。

常に父とは距離を置き、なるべく離れていたいのは言うまでもありません。



そんな生活の中で、私たち子供のよりどころは、常にそばにいてくれる母だけでした。

母はいつもかばってくれましたし、失敗したときは一緒に謝ってくれました。

優しく諭してくれましたし、励まし応援し、褒めてくれたのも母でした。



あなたなら、この父とこの母、どちらを好きになりますか?

当然母ですよね。

私も兄も同じです。



ですから、いつも父の影におびえ、母の後ばかり付いて回りました。

しかし父は、子供のためを思っていろいろ躾をしてあげている自分よりも

母の方が、子供たちに好かれているのを、苦々しく思っていたようです。



「男子厨房に入らず(男は台所に立つもんじゃない)ということわざ)を知らんのか!」

「男が台所でうろうろするな!」と怒鳴られたり、

私たち子供が「おかあさんは?」という口癖を聞くたびに

「おかあさん・おかあさんって言うな!」って又怒鳴られるのです。



一番つらかったのは食事の時でした。

小学校1年生の頃のことです。

食事は家族全員で食べていましたが、箸の持ち方、食事の作法、

おわんの持ち方、口の付け方、お茶の飲み方・・・

一挙手一投足をいちいち注意されるのです。



ですから、父と食卓をともにした食事でおいしかった思い出などひとつもありません。

いつも砂をかむような思いで、「早くここから開放されたい」と願っていました。

そして次第に私は体に不具合が出てくるようになったのです。



今考えると当然です。

「出されたものは全部食べろ」

「食卓を汚すな」

「食べてる最中にトイレに行くな」

と逃げ場を失ってしまっていたのですから。



父がいると食事がのどを通らないのです。

子供用のお茶碗にほんの半分のご飯でさえ全部食べられないのです。

口に入れても体が受け付けず、吐き戻してしまうのです。



「そんなもん卵を掛けて食っちまえ!」と言われ、

生卵ごはんで流し込む様に強要され、食卓に吐いた事もありました。

食卓で吐く事は決して珍しくなく、それを見ている父に

「俺たちが子供の頃は米なんて食べられなかったんだ」と怒鳴られたこともありました。



私は母にお願いしてご飯の量をもっと少なくしてもらったり、

お茶でいったん胃まで流し込んだ食物を、父に分からないようにトイレで静かに吐く。

という事もするようになりました。



そのうち、父は

「お前たちと飯を食うと気分が悪い」と言って一人で食事を取るようになり、

私も少しづつ朝食が取ることができるようになったのです。



父は大変忙しい人で、学校が終わると、公民館や自治会館にまねかれ、

生徒のご父兄や老人会などで書道を教えていました。

日曜日(当時は休みは日曜日だけでした)は朝から夕方7時過ぎまで

書道教室に集まる生徒で家の中はごった返しており、

いつも顔をあわせていたわけではなかった事がせめてもの救いでもありました。

(今思うと、私たちの為に休みも無く働いてくれていたのが分かり

                        大変申し分けないと思いますが)



ですから、父のいない時だけは母と本を読んだり、楽しく笑う事ができました。

勉強を教えてもらったり、キャッチボールも竹馬も、

メンコも、ヨーヨーも、ケンダマも、こま回しも、

縄跳び、水泳、逆上がり、凧揚げもすべて母に教わったのです。

そして私たちが何かしらできるようになると、本気で心から褒めてくれました。

満面の笑顔で。



それが本当に私たち兄弟にとっての喜びでした。

母は一言で言えば体育会系。高校時代は国体に出るほど運動に熱中したそうです。

明るく、朗らかで、前向きで常に笑顔の耐えない方でした。

そして母は褒めるのが大変上手で、口癖は「ありがとう」でした。

すべの人に対して同じように接し、

「ありがとう」を忘れない母は誰からも好かれる人でした。



父に黙って母と私と兄、3人だけで出かけた水族館は、

小さい頃に覚えているたった一つの楽しかった思い出です。



後に聞いたのですが、

母は2度ほど私たち兄弟を連れて心中しようとしたことがあったそうです。

線路をとぼとぼと歩いて、決心する度に小さな私が泣きわめいたのだそうです。

その泣き声を聞いて、今日はやめようと思いとどまったのだそうです。

私たち子供だけでなく母は母で大変な苦労をされていたのだと思います。



当時、父はいつも桐の下駄をはいていましたので、

父が帰ってくる時には下駄の音がしたものです。

「ジャリッジャリッ」っと砂を踏みつける、乾いた下駄の音が聞こえるたびに、

「お父さんが帰ってきた!」体中に緊張が走り、胃が痛くなったものでした。



今でも桐の下駄の音を聞くと胃が「キューン」と収縮するのが分かります。



このように厳しい躾を受けた子供は決まってぐれていきます。

それは反動なのでしょうか?不満の鬱積なのでしょうか?

やはり、私もそうでした。

中学時代はそりこみを入れ、高校時代はかなり荒れていました。



しかし、ある事件を起こしたとき、

自分が父親に持っていた不満の為に

“常に母親が辛い思いをしている”ことに気がついたのです。

この人にこんな思いをさせてはいけない。

そう気がついた私は、深く深く反省し、全ての悪行を捨てました。


そして、もし自分が人の親になったときには、

「このお父さんの子供に生まれてきて良かった!」そう言ってくれるような親になろう!

と決意したのです。



子供は親を選べません。



そうならば、選べないお父さんの中で

『日本一のお父さん』になってやる!と心に決めたのです。

『日本一のお父さん』とは、好かれるお父さんではないかもしれません。

もしかしたら、嫌われるかもしれません。



でも、自分が死ぬ時、

「僕は(私は)お父さんの子供に生まれてきて良かったよ!」と言ってくれれば、

それだけで満足できると思ったのです。



子供が生まれてからは本当に真剣に勉強しました。

おかげで子育ても終わりに近づいてきた今、

ほんとうに毎日が楽しくて、毎日が感動で、毎日が幸せだったと思い返しています。

子供にとっての最高のお父さんになるつもりが、

どうやら子供のおかげで最高に幸せなお父さんになってしまったようです。



現在、私は父・母の家の隣に家を立て住んでおります。

我が家の様子は隣に住む父・母はすべてが分かります。



私が仕事から帰って来るなり、

「お父さん帰ってきた!」とばたばた玄関に走ってきて

「お帰り!お帰り!」という子供(孫)たちの声を毎日聞いていた父がポツリと

「俺はあいつ(私のことです)がうらやましい。俺は一度も経験できなかった」

と言ったそうです。



今から40年前にこのノウハウを父が知っていたら・・・

と思うと残念でなりません。

心は強制では動かないのですから。




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