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号外 助かった!!

こんばんは。パピーいしがみです。

昨日のメルマガを読んで沢山の方から、「私も一緒に“魔法の言葉”を唱えます!」という嬉しいメールを頂いています。

ありがとうございます。

実は昨日、メルマガを書きあげて、これで「私も無事だよ、助かったよ♪」というご報告が頂けるだろうか?

一人でも多くの方に「立ちあがろう!」と思って頂けるだろうか?と考えていたところ、

メルマガとして皆さんにお送りする前に、ホームページのお問い合わせのページから

“yamatoです。今回の地震と津波で、住んでいたアパートと車が流されてしましました”

“それで、着の身着のままで、逃げ、幸運にも助かり、親戚の家に非難しています。今は携帯だけが命綱です”

“このメールは親戚のパソコンをお借りして出しています”

とあって、そのタイミングにびっくりしました。

yamatoさんは、本当に危ないところで助かったんです。それも家族全員・・・。

ご報告を頂きましたので、号外で皆さんにお知らせします。

ココから・・・

私たちは無事でした。主人、私、長男、次男、家族全員無事です。

以下、私の経過を報告させてください。

11日は、私は子供と三人で町内にある図書館で本を返していた時、地震に合いました。

「財布や免許証くらい取りに戻りたい」と言う私を長男が、「ここにいよう!!」と止めてくれました。

まもなく、6mの津波がくるという放送が入り、その図書館も避難所になっていたので、そこの2階に避難していました。

ですが、どんどん波が押し寄せてきて、最高階の機械室のような5階に駆け上がり逃げました。

ドアや窓からすごい勢いで津波の海水が入り、太ももまで水に浸かり、外を見ると、雪が降り、

自分たちがいる建物の周りの建物は全て波にのまれ、大きな茶色い濁流が渦巻き、家の屋根や車や色々なものが、まるで木の葉のように流されていました。

正直もうダメだと思いました・・・。

ですが、そのうち流れが止まり、少しずつ水が引き始めました。

子供たち二人も波に濡れましたが、一緒に逃げた方に高いところに上げてもらい幸運にも助かりました。

後から聞いたら20メートルはあったろうとの事でした。何度も津波が押し寄せて、寒くて寒くて怖くて怖くて・・・

28人で励まし合い一晩をそこで過ごしました。

12日、朝になると4~1階まで柱と外壁、床、あとは瓦礫しかありませんでした。

かろうじて降りられる階段が一カ所あり、瓦礫をよけながら一緒に被災した方々に助けてもらって、総合運動場の避難所に逃げました。

避難所についたときには・・・みんなで涙しました。

もう、ここまでは津波はこない。

あたりは、役場と自分たちがいた建物と、住んでいたアパートが、ボロボロで瓦礫にまみれ、なんとか立っているだけでした。

あとは瓦礫の山。

四階建てアパートの四階まで波に沈んだとのことで、中のものは流され、後から入れる状態ではなく、車二台も流されてどこにあるかわかりません。

(あとから、主人が無理やりこじ開けて入り、流されずに泥だらけになった保険証や私の免許証、大事な書類などを発掘したとのことで、ちょっと安心しました。

ただ部屋の中は天井付近まで水に浸かったので、割れたガラスや泥だらけでグチャグチャ、シェイクされた感じで歩くのも大変とのことでした)

周囲の見慣れた家や建物も流されてなくなって瓦礫だけになっていました。

線路はぐにゃぐにゃ浮き上がり、汽車は数十メートル流され転がっていました。車も所々に転がっていました。

15日の時点で、避難所生活や津波の被害の少ない人々も、ライフラインがストップして、厳しい状態でした。

携帯はつながりませんでした。毛布は支給されましたが、とても寒かったです。

食事も1日1回~よくて2回。味噌汁か、お粥。14日はバナナとチーズ蒸しパンで、「あぁ助かる」と思いました。

行方不明の友人知人もいます。奥さんやお子さんが行方不明のアパートの方もいます。奥様やお子さんを亡くされた方も・・・。

ありがたいことに、私はたくさんの人々に助けられて・・・15日、生きて主人に会えました。

もっていたのは、つながらない携帯と役に立たなくなったアパートの鍵だけ。

後は何もないなんて信じられないけれど・・・でも、生きてただけで、本当にありがたい。

主人は、仕事諸々の復旧にあたり被災地に残りました。

私・長男・次男は、主人と会えた1時間後、幸運なことに、急遽でしたが仙台方面に行く方の車に乗せてもらえる事になり、叔父さんの家にお世話になることになりました。

20日現在、主人のいる場所は電波が届かないので、携帯が使用可能になるまで、主人とはパソコンメールだけの連絡になります。

主人は会社の指示次第になります。

今は、家族の行方がわからない社員の方が優先で帰って探しているので、最低でも2、3ヶ月は帰れないだろうとのことでした。

でも、生きていれば必ず会えるので・・・頑張ります。

子供たちは、日中は元気(すぎ)ですが、ちょっとでも地震が来るとものすごく怖がります。

夜も何度か怖い夢見たと泣いたりします。しばらくは仕方ないですね。無理せず、少しずつ癒やしていけたらと思います。

もうひとつ。

私の実家は流され、なくなりましたが、ありがたいことに、母は生存しているそうです。

直接連絡は取れていませんが、本当に嬉しいです。感謝しています。

ご心配おかけしました。本当にありがとうございました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

ココまで・・・

このメールを頂いて、私は泣きました。本当に助かってよかったと・・・。

頑丈な建物の5階にいて、自分達も水につかりながら、私達がテレビで見たような、轟音に包まれながら、濁流に押し流される車や家の屋根などを、実際に窓からご覧になったのですね。

・・・本当に怖かったと思います。でも・・・よくぞ生き延びてくれました。

そして幸運にもご主人ともお会いできた・・・。又、ご実家のお母さんもご健在との事。

本当に奇蹟的ですよね。守られてるって感じます。良かったです。本当に良かった。

子供達も元気でいてくれるようですが、yamatoさんもどうぞ、お体を休めて、お大事になさってくださいね。

それから・・・

落ち着かれて、又、講座をお始めになる時、一度ご連絡を下さいね。必要なテキスト等をお送りしますから♪

ご報告、ありがとうございました。

それと・・・もう一つ、ご報告があります。これはオーストラリアはシドニーからのメールです。

ココから・・・

パピーさん、こんにちは。シドニーマミーです。

魔法の言葉、了解しました。今日から毎晩、息子と2人で唱えます。

私達海外組ができる事は、祈る事と義援金を送ることくらいです。

ここシドニーでも募金活動が始まっています。

昨日は大雨の中、2時間かけてその集まりに、息子と2人で行ってきました。

雨だった為に当初、屋外で予定していた集まりですが、急遽そこから遠くないショッピングセンターのホールに移動して、募金活動のアピールをしました。

ほとんどの方が浴衣などを着て、日本をアピールして、26日に行われるチャリティイベントの宣伝の為にビラを配ったり致しました。

書家の方が、大きな白い紙に「がんばれ日本」「愛」と書かれました。

チャリティイベントではソーラン節や和太鼓などの演奏などもあり、一人でも多くの方に集まってもらい、街頭募金活動をします。

赤い羽根の共同募金のように、羽の代わりに折鶴を渡します。

それで毎日鶴を折る日々ですが、シドニーではすでに折り紙がどこへ行っても買えません。

たくさんのシドニー在住の日本人の方が、自宅で鶴を折ってらっしゃるんだと思います。

私もシドニーオリンピックの時にテーブルクロスで叔母と手作りした日本国旗を引っ張りだし、

黒いリボンを買って来て、HELPと縫い付け、息子と2人でショッピングセンターを1周致しました。

他にもシドニー在住のバイオリニストやピアニストの方達によるチャンリティコンサートなどが、すごく安いチケットで行われ、そのチケット代は全て日本赤十字社の方へ寄付されます。

オーストラリアのギラード首相も「できる事は何でもする」と言っています。

キャンベラの日本人大学生の方が、毎日自分の大学の食堂前で募金を集めているそうです。

他にも皆さんが自分のできる範囲で少しでも少しでも被災者の方々や日本を助けたいと思って、行動しておられる事と思います。

どうか負けないで、この試練を乗り越えて行かれる事を、願っています。

シドニーマミー

ココまで・・・

シドニーマミーさん、海外からのご報告ありがとうございます。

世界中で皆さんが手を取り合って協力し、応援してくださっているようです。

“世界は一つ”という言葉をとても強く感じます。

感動・・・です。突然のメルマガをすみませんでした。

ご興味のある方はこちらをお読みください。

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