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第746号 全ての事象は必要にして善である

こんばんは。パピーいしがみです。

年が明けて、まだ1ヶ月に満たないのですが、何通か同じ内容のご相談をいただき、上記、“全ての事象は必要にして善である”に関するお返事を差し上げました。

ご相談は、過去にしてしまった選択への後悔や、ご自分のマイナス思考に関する内容でした。「とても楽になれた」「そういう考え方があるんですね」と喜んでいただけたので、皆様にも、お伝えしておいたほうがいいかな?と思い、本日のメルマガとしてご紹介することにしました。

私たちは何かが起きるとどうしても、良いこと、悪いこと、と2つに判別したがり、良いことが起きると喜び、悪いことが起きると落胆したり、悲しんだり、気持ちが塞いだりします。

そして未来にも『良いことが起きて欲しい』と願ってしまいます。確かに良いことが起きると嬉しいです。悪いことが起きると落胆したり、凹んだりはします。

ですが、良い事だけが起き続けるということはなく、いろんな出来事が起きるのが自然ですよね。

また、良かったと思っていたことが、実は悪いことの始まりだったり、逆に落胆したことが、良い結果をもたらしたり・・・ということもよくあります。

宝くじに当たった人が散財して、資産も家族も失うことになったり、それを元手で事業を始めて、莫大な借金が残ってしまったり、

「盗まれるんじゃないか?」「お金を狙っているんじゃないか?」と人を信用できなくなり、ノイローゼになって自らの命を絶ったりなど、私もよく耳にします。

それを言い表したことわざに「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄のごとし」や「人生万事塞翁が馬(じんせいばんじさいおうがうま)」等がありますが、もしかしたらお聞きになったことがあるかもしれません。

「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄のごとし」の「禍福(かふく)」とは、幸・不幸の事で、「糾(あざな)える縄」とはより合わせた縄の事(ロープを見ると二つの紐がねじり絡まっています)で、

災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものだ。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。

成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものである。(故事ことわざ辞典からの抜粋)という意味なんですね。

そして、「人生万事塞翁が馬(じんせいばんじさいおうがうま)」は、ある物語から来ています。ちょっと面白いので紹介しますね。

ここから・・・

中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。

ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。

ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。

そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。

そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

ここまで・・・

と、両方のことわざともに、「幸福と不幸は表裏一体なんだよ」と言っているのですね。私の場合、それを実体験で知ったのは、まだサラリーマンで車に乗って仕事をしている時でした。

私の住む場所は静岡県の清水区という場所ですが、ここの場所から、山梨方面に向かう道が1本しかありません。

山の中を切り割いて作った道でしたから、舗装はしてあっても、片側1車線のとても細い道でした。ですが、他に道がないのですから、大きなトラックや、バス、ダンプカーもバンバン通るのです。

交通事故も多く、多くの方が命を落としています。(なので、その近隣の小学生は登校時のヘルメット着用が義務付けられているぐらいです)

ある農家さんの家で契約を済ませ、帰社するとき、その道に出る為に細い路地から、左右を確認して左折しました。急いでいた私は、一旦停止を怠ったのですね。

ピピッー。警笛がなり、私は一時停止義務違反で捕まりました。その時、「なんでこんなところに警官が隠れているんだよ!」「今日はついてない!最悪だ!」と思ったのです。

が、その後の新聞で、その道で、交通事故があり、小学生が亡くなったことを知りました。事故を起こした人は、会社員で、やはり、一時停止義務違反だったとありました。

その時、思ったのです。あの時、捕まっていなかったら、もしかしたら新聞に載っていたのは自分だったかもしれない・・・。もしそうだったら罰金ぐらいでは済まされません。

一時停止違反で捕まったことは、その後、注意をするきっかけにもなるし、実は、すごくラッキーだったのかもしれない・・・と。

そしてその事があってから、「幸・不幸は表裏一体」「全ての事には二面性がある」と考えるようになったのです。

そのように考え始めてみると、私たちの見ているいろんな現象を「良い」「悪い」で判断するのではなく、見えない部分にライトを当てると、今まで見えなかった部分が見えてくることが分かりました。

例えば、私はとても気が短いのですが、「気が短い」は多くの場合、短所として使われがちですが、気が短いからこそ、判断が早かったり、間違いを早く見つける、新しい方法を試して、修正をすることができる、という良さがあります。

また、優柔不断、という言葉も短所として使われますが、なかなか決められないということは、違う見方をすれば、思慮深く、確実性を重んじ、選択肢が多い、ということが言えたりもします。

「短気」も「優柔不断」も、一見すれば、良くない性格の代名詞に使われがちですが、だからこその良さも持ち合わせているんです。

ただ、多くの人は、両面から見ることは少なく、一方向からだけしかライトを当てないので、そこに隠れている良さを発見できないのですね。

もし、そこにどうしても「良い」と思えないことがあったとしても、「ここを逃げずに乗り越えることで、自分は必ず強くなれる」「この試練は必ず自分を高めてくれる」と考えることもできます。

でも、辛いから、苦しいから、と逃げていたら、その時は一瞬、辛さや苦しみから逃れら楽になれますが、同じことが起きたときには、また、同じ辛さや苦しみを味わう事になるんですね。

でも、そんな風に「全てには二面性がある」と、いろんな角度で見るようになると、良い事、悪いこと、が交互に起きていても、“どちらからも「良い事」が見えてくる”ようになるんですね。

嬉しいことが起きると「お~!やった~♪」と喜び、ちょっと歓迎したくないことが起きても、「でも、ここには、こんなプラス面が隠れている」と発見できるので、“いつも良い事ばかりが起きている”という状態になるのです。

いつも良い事ばかりが起きている、と考えることができれば、善循環が始まります。

気分も安定し、常にポジティブで、笑顔でいられます。

「ものにはすべて二面性がある」「もし歓迎したくないことが起きても、それが自分を強くしてくれる(成長の糧になる)」そこから、私の座右の銘が生まれました。それが“全ての事象は必要にして善である”なんです。

今、自分の身の回りで起きていることは、すべて、自分が成長(善)するために必要だから起きていて、良いことも、一見、悪いように見えることも、すべてが「善(さらなる幸福・善循環)」に向かっている。という意味なんですね。

過去の選択を今でも後悔していて、「あの時、××せずに、○○していれば良かった」と思われることもあるでしょう。

でも、その選択をしたが為に大きな災難から逃れたかもしれません。もちろんその選択をしなかったら、違った結果や未来があったかもしれません。

ですが、その時は、それが最善と思い選択したのです。でしたら、その選択を後悔するよりも、これから起きることに対して善を探してみて欲しいのですね。

今まで影になっている場所に、ひっそりと花が咲くように、それらは見つけてもらうことを待っているのです。

ちょっと難しい話になってしまったかもしれませんが、これは、子育てにも全く同じことが言えるのです。

親が「こうしてほしい、ああして欲しい」と親の望む面だけにライトを当てていると、それをしない子供にイライラしたり、腹が立ったりします。

ですが、違う方向からライトを当ててみると、親が見ていない場所で、人を気遣う「思いやり」があったり、勉強はしないけど、興味の有る事に強い集中力を発揮していたり、几帳面ではないけれど、とてもおおらかだったり、笑顔を絶やさなかったり・・・

そこには必ず、良い面・優れている部分が隠れているはずなんです。

私たち親に、子供の隠れている優れている場所、すばらしい特性を見つけることができて、(他の誰もが言ってくれないけれど)親がその良さを見つけ、認め、褒めてくれたら・・・子供たちはどんな風に思うでしょうね?

もし、想像ができなかったら、自分に置き換えてみてください。自分の知らなかったような良いところ。素晴らしい面。それを誰かが見つけてくれて、賞賛してくれたら、私たちはどんな気持ちでしょうか?

見つけてくれた人、褒めてくれた人に対して、私たちはどんな感情を抱くでしょうか?

決して、そこには嫌悪感や猜疑心ではなく、感謝や、信頼、そして好感を持つと思うのです。

親と子の間で、それらが生まれたらどうでしょう?それは素晴らしい関係性が育つ事は想像に難くありません。

「こうすれば、いい子に育つ」なんて方法は、私は“ない”と思っています。でも、親と子の良い関係性を築きあげることができれば、子供はどんどん自分から自分の能力を高めてくれます。

子育ては難しい。でも私たちの見方や、考え方をちょっと変え、また、その練習をして上手になっていただくと、「良い関係性を築く」ことがとても容易になるんですね。

今回の「全ての事象は必要にして善である」は、以前は、よくお話したのですが、ご存知ない方も多いように感じたので、今回、改めてご紹介させていただきました。ご参考になりましたら嬉しいです♪
 
 
※ ご興味がありましたら、ご覧ください。

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