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第1022号 美智子さまを思う

こんばんは。パピーいしがみです。

10連休、楽しんでおられますか?

この10連休のちょうど真ん中で平成の元号が終わり、令和に変わりました。

昭和から平成に変わる時は、昭和天皇の崩御による改元でもあった為、自粛ムードが強かったのですが、

今回は生前退位での改元という事で、お祝いムードが強く、沢山の方が歓喜し、多くの場所でカウントダウンが行われ、まるでお正月のような賑わいでした。

ですが私は、天皇・皇后さま、本当にお疲れ様でした・・・と、過去にあった出来事を紹介されるテレビ番組を見ながら何度も涙していました。

特に美智子さまにとっては、長い長い60年間だったと思うのです。

もちろん辛い事ばかりではなく、それを上回るほどの幸せもあったとは思うのですが、さまざまな逆風に耐えて最後までご自分の姿勢を貫かれ、そこに心からの尊敬とねぎらいの言葉を送りたいと思ったのですね。

美智子さまは、1959年4月10日に、皇太子明仁親王(当時)とご成婚されました。

その時は、まだ私は生まれてはいなかったのですが、日本中が喜びに沸いて、お二人の巨大な写真がデパートに飾られて、ご成婚パレードでは53万人もの人でにぎわったそうです。

その頃生まれた女の子は“美智子”と命名された子が圧倒的に多く、今も、当時の映像が流れますが、馬車に乗ってパレードをするお二人は、夢の世界の「プリンス・プリンセス」でした。

瀬戸内寂聴さんが後に美智子さまからの声を紹介されますが、美智子さまは学生時代、恋愛したことが無く「あなたが好きです」と初めて男性から言われたのが明仁親王だったそうです。

その時の美智子さまの言葉は「うれしくて、舞い上がってしまったのよ。何が何でも、どんな反対があってもこの方と結婚しようと思いました。ただ一人、愛したお方が陛下です」と言われたそうです。

なんとも純粋で可愛らしいじゃないですか(^^)

ですがご成婚され皇太子妃になられたその日から、美智子さまはいばらの道を歩むことになるのでした。

美智子さまが皇室始まって以来、初めての民間から嫁がれたお妃だったのは、多くの方がご存じだと思います。

ですがそれゆえ、やっかみや嫉妬も多く、特に皇太子妃にお仕えする女官は旧華族出身者ばかりで、美智子さまを快く思っていない人が多かったようです。

あからさまないじめがあったかどうか?はベールに包まれたままですが、側近として仕えている方々が自分を快く思っていない中での毎日はどうだっただろう?と想像すると、とても切なくなってしまいます。

ご成婚からすぐに公務があり、いきなり世間の注目を浴び、マスコミからはカメラを向けられ、一挙手一投足に難癖を付けられて、カメラのない場所では側近からも批判の目で見られる。

美智子さまはいつご自分の心を解放できたのか?ホッとできるひと時でもあったのか?それを思うと、本当に辛かっただろうな・・・苦しかったろうな・・・と思わざるを得ません。

特に、美智子さまの場合、その苦しさや辛さを誰かに聞いてもらう、という事もできません。誰にも何も言えず、自分一人で抱え、我慢して我慢して乗り越えてこられたのですね。

当時、綴られたとされるノートにはこのように書かれていました。

「憎しみに囲まれて何かをしようとしても、くずれくずれる砂山を足場にするように、何一つ実るものはございませんでしょう。これは、どんな“家”をとってみても“職場”“社会”をとってみても言えることではないかと思います。」

ご自分の足場は、崩れる砂山の様で安定せず、又、ご自分の周りに憎しみを感じ、一人苦しんでいる美智子さまの苦しい胸の内が込められていると感じます。

確かに“家”や“職場”“社会”でも、同じような事はあるとは思います。

嫁ぎ先のお姑さんやご家族に理不尽に扱われたり、入った職場でパワハラにあったり、苦しい中で頑張っている人も沢山いるでしょう。

ですが、あまりに辛かったらその家から飛び出してもいいし、酷い職場だったら退職してしまう事だって選択の一つです。

でも美智子さまの場合それらを選ぶこともできず、我慢して我慢して、じっと耐える事を貫かれたのですね。

皇太子妃という立場上、それしかなかったとしても、その心情を考えると、涙があふれてしまいます。

でもその中で、一筋の光になったのが、長男浩宮さまのご妊娠でした。

それまでの皇室には授乳を母親とは別の女性に任せる「乳人(めのと)制度」が慣例としてあり、平安時代からのしきたりだったそうです。

でも美智子さまはそれを拒否。

ご自分のお乳で浩宮さまを育てることを決意し、2カ月後からは公務に復帰。公務の間に授乳をして、離乳食作りも3か月からお始めになったそうです。

ご自分の子供を手元で育てたい。その為には後ろ指を指されないように・・・と必死だったのではないかな?と思います。

又、皇太子は、3歳になったら親元を離れ、帝王学を学ぶ「傅育官(ふいくかん)制度」がならわしで美智子さまはその制度もお止めになりました。

もちろん美智子さま一人のご意見で取りやめたのではなく、そこは明仁親王とお二人で出した結論だったとは思いますし、

特に「傅育官制度」は、ご自分も親から離され寂しかった幼少期を思って取りやめることを決めたと思うのですが、非難は美智子さまだけに集中しバッシングを受けることになります。

「わがまま、皇室に入った自覚が無い、伝統を壊している」

ですがどうでしょう?私は皇室とは言え、わずか60年前に、母が子供にお乳を上げられない、家族が家族として普通の生活ができなかった現実があったんだ・・・と愕然としました。

いくら伝統だ、ならわしだ「それが天皇となる人の使命なんだ」と言っても、あまりにも非人道的ではないか?それがこの日本で、つい半世紀前まで続いていたんだ、という事に驚きました。

美智子さまに対する批判は、この一件でさらに高まりますが、美智子さまの残された言葉はこうでした。

「家庭の平和、それに親族が仲が良いということは、どの家庭にでも、とりわけ皇室に強く望まれることだと思います。」

「個人としての幸福感、家庭人としての幸福感を、何か悪いように考える傾きが、日本人の中に、とりわけ宮中にあるということは、ないでしょうか」

すでに過去の言葉ではありますが、よくぞその言葉を口にされた・・・と心の中で拍手喝采でした。

そして何よりその“仲の良い家庭”で、ご自身も、そして子供たちも癒される時間を作ってほしい、と願わずにはいられません。

が、美智子さまには又、試練が訪れます。

それは浩宮さまの次のお子さんを流産された事でした。

宮中での辛さ、苦しさに耐え、子育てをしながら公務も勤め上げ、頑張って頑張って心も身体もギリギリの状態だった美智子さまには、

この流産と、それにまつわる週刊誌の虚偽報道、宮中の心ない言葉などでさらに追い打ちをかけられ、ついには心身共に限界を超え、葉山御用邸で一人静養する事態になってしまったのでした。

その時の美智子さまは、たいへん憔悴しきっておられ、食事ものどを通らずひどく痩せてしまい、お近くで遣える女官達も心配するほどだったそうです。

約3か月、お一人で静養された美智子さまでしたが、その窮地を救ったのは、やはり明仁親王と浩宮さま。ご自分が大切にされた「家庭」の存在でした。

ご主人である明仁親王と長男の浩宮さまが、葉山御用邸に通うようになってから少しずつ回復をし、その後、約2カ月間、三人で軽井沢で過ごすことで生気を取り戻し、約5ヵ月後から段階的に公務に復帰できたのでした。

浩宮さま誕生の5年後に(次男)礼宮さまがお生まれになり、その4年後には(長女)紀宮さまが生まれたのですが、この紀宮さまの存在が美智子さまには大きな支えになったそうです。

宮中でたった1人、じっと孤独に耐えてきた美智子さまも、ご自分が理想とされた「家庭の平和・仲の良い家庭」によって、ご自分らしさを取り戻し、新たな輝きを放つようになりました。

新たな輝き・・・私がそう感じたのは、各避難場所をご訪問された時の美智子さまのお姿でした。

被災者の前にひざまづき、目線を同じくして話を聞いておられる姿。

車に乗っても、雨の日、暑い日、寒い日関係なく、窓を開け笑顔で手を振り、時には会釈する姿・・・。

移動の新幹線の中でもすぐに座ることなく、中腰姿勢で笑顔で手を振り続ける姿。

そして時には天皇陛下をサポートしながらも謙虚に振舞われる姿・・・。

特に、被災者にひざまづき被災者一人一人にお声掛けをする姿が、一番最初に世間が知る事になるのは、1991年(平成3年)6月に起きた、長崎県、雲仙・普賢岳の大火砕流の避難場所である体育館での事でした。

これはもともと美智子さまが公務で訪れた福祉施設で率先して行っていたものを天皇陛下がならったとされています。

この時も「何もひざまづく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。現行憲法上も特別な地位に立っておられる方々であってみれば、立ったままで構わない」と指摘をされたようですが、

その後に起きた災害でも、天皇・皇后さまはご自分たちのスタイルを崩す事はありませんでした。

何より、お二人が被災者の前にひざまづき、話を聞き、励ましてくださる、その姿に感激し、苦しく辛い中でも希望を持って頑張ろうと心を新たにされる、その手ごたえをお感じになったからではないのかな?と思うのですね。

美智子さまが自らが長い年月、苦しみを背負われてきたのに、辛い思い・悲しい思い・切ない思いをしている人に、手を差し伸べようとしているそのお姿に、純粋に心打たれます。

世間では、美智子さまの行動を「宮中の改革」と言われることも多いですが、私は、決してそんな大それたものではなかったと思うのですね。

そこにあったのは「一人の女性として、家庭を大切にしたい」という思い。

そして「人の悲しみや苦しみを少しでも楽にさせてあげたい」という願い。

ご自分の思いに純粋に行動し、ご自分のできる最大限の努力を怠らずに続けられた、その結果だったと思うのです。

ここに平成が終わり、天皇陛下・皇后陛下としての御役目から退かれました。

後は是非、やっとできた二人の時間を、二人の為に使って欲しいと思います。

ちなみに、美智子さまが皇后陛下になられてから輝きを取り戻したように、令和を期に皇后陛下になられた雅子さまの表情は今までとは全く違った、とてもすがすがしい笑顔でした。

雅子さまも、しばらく体調がすぐれない時期が続いていましたが、きっとご自分らしい輝きを放ってくださると思います。

今日は直接「子育て」とは関係ないかもしれませんが、この60年間。さまざまな苦しみに耐えながらも、ご自分の考えや姿勢を貫き通された一人の女性へ、心からの尊敬とねぎらいの言葉を送らせて頂きました。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

※ご興味がありましたら、ご覧ください。

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パピーいしがみ 人材育成の現場から、育児・子育てこそが、本人の一生のベースになると痛感し、吸収したノウハウやアイデアを自分の3人の子育てに応用。子供達が喜びと自信を持って成長していく中で、親としての充実感と予想をはるかに上回る結果に驚愕する。2003年あまりの少年犯罪の多さ、幼児虐待の事件に心を痛め、その子育て育児方法をインターネットで公開。熱烈なサイトのファンからの要望で、テキストを作成し通信講座として紹介。著書も好評で現在は会員さんから毎日届く悩みや相談に応えている。

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